あさま山荘事件の人質女性の現在は?横領・駆け落ちの真相とは?

「あさま山荘事件」をご存知ですか?

連合赤軍が軽井沢の別荘地の山荘に女性を「人質」に立て籠もり、10日間218時間に渡っての攻防を繰り広げた事件です。

「人質」となった当時27歳の女性は、今どうしているのか?
また当時噂として流れた「人質夫妻の横領疑惑」の真相について調べてみました。

「あさま山荘事件」の人質女性は、今どうしてる?

 

「あさま山荘事件」で人質になってしまったのは、当時27歳の「牟田泰子さん」です。

「牟田泰子さん」の現在の状況ですが所在はわかりませんが、どこかでご主人と暮らしているということです。

そして「事件のことには一切触れない」という姿勢を貫いています。その理由はマスコミ報道に関する不信感といわれていますが、はっきりとはわかりません。

何れにせよ「事件のことには一切触れない」というよりも、牟田さんの気持ちとしたら「事件のことは思い出したくもない」というのが本音であると思います。

 

あさま山荘事件の人質・牟田泰子さんの「横領疑惑・駆け落ち」の真相とは?

 

牟田泰子さんは九州(宮崎県?)の運送会社でサラリーマンとして働いていた「牟田郁夫さん」(当時31歳)と軽井沢の河合楽器の保養所である「あさま山荘」にやって来た訳ですが

その理由として

① 年老いた泰子さんの両親の健康を気遣って

② 九州での「横領疑惑」から逃れるため

と当時から言われていました。

ことの真偽はまったくわかりませんが、九州にいた時に公金横領?をしてしまい夫の郁夫さんと長野県に駆け落ちして逃れてきたと言われています。

もうすでに47年も前のことですから実際のところは、良くわかりません!

ただその後に「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」という映画にも、横領・駆け落ちのシーンがしっかりと描かれていることから「横領・駆け落ちは本当だった」と推測されています。

 

「あさま山荘事件」とは?

 

「あさま山荘事件」とは

1972年(昭和47年)2月19日~2月28日までの10日間延べ218時間に渡って連合赤軍メンバー5名(坂口弘・坂東國男・吉野雅邦・加藤倫教・加藤元久)が長野県軽井沢町にある河合楽器の保養所「あさま山荘」に牟田泰子さんを人質にして立て籠もり、散弾銃・ライフル・パイプ爆弾を使って抵抗し警察官2名、民間人1名の死者を出し、また負傷者27名を数える特異な凶悪な事件です。ちなみに人質の「牟田泰子さん」は警察によって無事に救出され犯人も全員逮捕されました。

当時22歳の私もNHKをはじめ民放各局もCMなしで、ぶっ通し救出作戦が生中継されたのを今でも鮮明に覚えています。

 

まとめ

 

1972年当時、テレビの視聴率が90%を超えたと言われている「あさま山荘事件」のことは私の中にも鮮明な記憶として残っています。

では、もう1度おさらいをしてみましょう。

■・・・あさま山荘事件で人質になってしまった「牟田泰子さん」は無事に救出されて現在もご主人と、どこかでひそかに暮らしているようです。

■・・・当時から牟田泰子さんは九州で「横領事件」を引き起こしそのためご主人の「牟田郁夫さん」と駆け落ち同然で軽井沢にやって来たといわれていますが、その真相はわかっていません。

■・・・「あさま山荘事件」とは、1972年に連合赤軍のメンバー5人が「牟田泰子さん」を人質にとって10日間に渡って籠城して死者3名、負傷者27名を出した戦後まれに見る凶悪事件です。ちなみに人質の牟田泰子さんは無事に救出され犯人5人も全員逮捕されました。

今なお、記憶にはっきり残っている凶悪な事件でしたが、当時「人質」だった「牟田泰子さん」は、誰にも言えない「深いキズ」が今も残っていると思います。

今は、「そうっとして見守ってやる」のが1番だと思います。今さら事実を知ったところで正直「どうってことはない!」ですからね。

とにかく「牟田泰子さんお疲れ様でした!」これからも、のんびりと過ごしてくださいね。
最後まで、お読みいただきありがとうございます。