
平成で一番歌われたカラオケソングは・・・何だと思いますか?
テレビ東京が「子供から大人まで誰が聞いても間違いない名曲」を独自の調査で、はじき出したところ一青窈(ひととよう)の「ハナミズキ」という結果がでました。
「空を押し上げて・・・」のフレーズで始まる「ハナミズキ」はどのような経緯で生まれたのでしょうか?
また母親の病気の告知をめぐって姉・一青妙(ひととたえ)との確執があった?と言われていますがその真相とは?
紐解いていきましょう。
平成の「カラオケソングNO.1」”ハナミズキ” 誕生の秘話とは?
「ハナミズキ」の誕生は2001年9月11日に起きたアメリカの同時多発テロに遡ります。早いものであの「同時多発テロ」から17年も経ってしまったんですね。今でも高層ビルに飛行機が突っ込んで行く様子が目に焼き付いています。
その事件をきっかけにアメリカにいた友人からのメールを見て「ハナミズキ」の詩を一青窈自らが書き上げたそうです。歌詞を良く読んでみるとテロによって愛する人を亡くしてしまった人の思いを伝える意味が込められているということです。
歌詞の最後の方の「君と好きな人が百年続きますように・・・」このあたり何でしょうか?
そして一青窈はすでに亡くなっている両親や姉の一青妙といった家族への思い、また自分の子供への思いを込めて歌っているそうです。
「一青窈」亡き母のガンの告知をめぐって姉「一青妙」との確執?
一青窈は台湾人の父と日本人の母との間に生まれたハーフですが、戦前から戦後にかけての激動の時代に日本にいた母と父との出会いにより結婚して、一青窈と一青妙の姉妹は台湾で産まれました。
一青窈が8歳の時に父親はガンで亡くなり母親も一青窈が16歳の時に同じくガンで亡くなっています。その当時は「ガンの告知」を本人にはしないのが当たり前だったために姉の一青妙は母親本人と学生であった一青窈には母親の本当の症状を伝えていなかったそうです。
母の亡くなる12時間ぐらい前に母親の本当の病名を知って一青窈は「驚きとショックで声も出なかった」と後に話しています。なぜもっと早く本当のことを教えてくれなかったのか?という一青窈の気持ちもわかりますが、妹に心配をさせないため母親の本当の症状を伝えなかったという決断は、「妹から恨まれてもしょうがない」と姉一青妙は思っていたそうです。
ただその後一青窈は姉に対して「言わないでくれてありがとうという気持しかない」と言っているようですから「確執」ということは考えられませんね。
まとめ
一青窈のカラオケ大ヒットソング「ハナミズキ」の誕生した経緯と母親に死に関しての姉一青妙の妹に対する思いやりの気持についてまとめてみます。
きっかけに友人からのメールをもとに生まれました。
一青窈の母親は一青窈が16歳の時に亡くなりましたが、姉の一青妙は妹に心配をさせないようにとの配慮から本当の病名を亡くなる寸前まで伏せていましたが、姉の気遣いに一青窈は感謝しているので姉妹の間に「確執」などはありません。