「春日部・大凧あげ祭りの歴史」と「大凧の作り方」6つの工程とは?

今年も春日部の伝統行事「大凧あげ祭り」の季節がやってきましたね!

 

「春日部大凧まつり2019」の開催要項と周辺駐車場の情報は下記をご覽ください。

春日部大凧祭り2019の周辺駐車場情報!6箇所を地図付きで紹介

 

平成から令和に元号が代わって初っ端のイベントです!今回は「大凧あげ祭り」の歴史と「大凧の作り方」についてご紹介いたします。

 

 

「春日部・大凧あげ祭り」の歴史

 

大凧あげ祭りの行われる春日部市西宝珠花にある小流寺の過去帳によると、天保12年(西暦1841年)の9月11日に出羽の国の僧「浄信」が各地巡礼の折、小流寺に宿泊した際に地元の人々を寺に集めて「養蚕の豊作占い」として凧あげを伝えたと書かれている。

 

そして人々はその翌年から「繭の収穫時期」に凧をあげるようになったと言われています。その当時は舟が物流の主役であり、関東一円・東北地方から江戸(東京)へは江戸川が大きな役割を果たしていて「宝珠花」は地域の文化・経済の中心地として大いに栄えていた。

 

そこで人をたくさん集めるために、当初は繭の収穫前に行っていた「凧あげ」を5月の端午の節句に男子誕生のお祝いとして行うようになった。それぞれの家で子供の名前や紋章などを書いた凧を作り、凧あげ祭りを行うようになったと言われています。

 

それぞれの家であげられていた凧が、いつしか皆であげるようになり、凧の大きさもダンダンと大きくなり明治の初期で現在の半分ぐらいの大きさになり、明治の中頃には現在の大きさになったようです。

 

ちなみに大凧あげ祭りは、昭和42年までは「宝珠花の大凧あげ祭り」であったが昭和43年から「庄和の大凧あげ祭り」となり平成17年10月1日に旧庄和町が春日部市と合併したことにより現在は「春日部の大凧あげ祭り」と実施主催が変更している。

 

「大凧」の作り方6つの工程とは?

 

大凧の作り方には、6つの工程があります。

 

1.小貼りと大貼り

半紙の大きさの和紙を1500枚貼り合わせて、縦と横に交互に貼り合わせ糊しろを含めて16m✕12mの大きな凧紙を作る。

2.文字書き

凧紙にチョークで文字や線を下書きしてから水性のペンキで色付けをする。ちなみに赤は太陽、緑は大地、白は江戸川を表現している。

3.骨巻き

竹のしなやかさを活かして骨の強度を増すために男竹と女竹を組み合わせてテープで巻いて骨を作る。

4.骨組み

骨を組んで凧の骨格を作り上げる。縦15本、横17本を等間隔で結んで対角線上に親骨を結んで最後にひし形のマス骨を結んで凧骨が完成する。

5.紙貼り

文字書きされた凧紙と骨組みされた凧骨を貼り合わせてから、周りの糊しろ部分(50cm)を貼り合わせ凧の中心部分は糸目で凧紙を通して骨を縛ることで凧紙を凧骨に合わせることが出来る。

6.糸目つり

上若組108本、下若組122本の糸目を凧に結んで約50m先の台に集めます。組長がその日の天候・風向きなどを見極めてから中心を決めて揚げ綱に結んで凧は完成する。なお揚げ綱の長さは500mを用意している。

 

 

まとめ

 

百数十年の歴史を誇る「春日部大凧祭り」ですが、例年5月の実施に向けて前年の11月にはその準備作業に入り年が明けて2月ごろから地元の若者の手によって大凧づくりがスタートします。

 

では「春日部大凧祭りの歴史」と「大凧の作り方」を簡単にまとめてみます。

 

■・・・天保2年(1841年)「浄信」という僧が地元民に「養蚕の豊作占い」として凧あげを教えた。

■・・・当初は繭の収穫前に行われていた凧あげが徐々に男子誕生のお祝いとして行われるようになった。

■・・・そして明治のころには現在のような凧あげの行事となりました。

■・・・大凧の作り方には以下のような工程があります。

① 小貼りと大貼り
② 文字書き
③ 骨巻き
④ 骨組み
⑤ 紙貼り
⑥ 糸目つり

以上のように人々の手によって延々と続けられてきた伝統行事であり、たくさんの人の努力に支えられてきた「春日部大凧まつり」・・・
平成から令和へと元号が変わってはじめての「大凧祭り」です。是非大型10連休の春の一日!「春日部大凧まつり」に出かけてみませんか?
最後まで、お読みいただきありがとうございます!